母と話していたら靴の話になった。
「靴を買っても靴擦れが酷くて、一向に慣れないんだよね」なんてたわいのない話をしていた。毒なっていないぞ!今年は大丈夫かな?なんて思いながら。
その時
そういえば前あんたに靴あげたわよね
ん?なんか嫌な予感。
貰ったよ。貰ったけど、めっちゃ靴擦れが酷かった。絆創膏貼ったり、靴擦れ防止のシートを貼ったり、靴擦れ防止のテープを貼ったり、いろんなことをしたけど、かかとの靴擦れを防ぐことはできなかった。
で、結局、処分したんだけど、(リサイクルしたか、捨てたかは忘れてしまった)そこまでは言わず。
あー、あの靴、靴擦れが酷くて、かかとが痛くて痛くて履けなかったんだ~
そしたらまさかの返し!
あらそうなの?
履かないなら返して。
あの靴革なんだから勿体ない。
いやもうないってば。。。。
処分したなんて言えるわけもなく、適当に話を変えて、とりあえず事なきを得たんだけど、
人にあげたものを返せと言うのはご法度でしょ!
自分が手放したものはもう関係ないんだから、追及してはいけないと思う。思い返せば母は人にあげたものの行方を気にする。使われていない事を知るとその人の悪口になったりして、貰ったものをどう使おうが相手の勝手なのに。
「勿体ない根性」
これは毒親あるあるじゃなかろうか。
いつもそうだ。捨てると、「せっかくあげたのに」とか、「勿体ない」「物を大事にしない」「捨てられた物が可哀相」等と言われるから、貰いたくない!
去年のドラマ「凪のお暇」で、とうもろこしが食べられない凪ちゃんに、お母さんが、「凪ちゃんのせいでとうもろこしさん捨てられちゃった、可哀相」って凪ちゃんに罪悪感を与えてるシーン、あれにすごく似てる。
私は物を捨てる事に罪悪感を感じるようになった。と言っても捨てなきゃいけないものもあるわけで、その場合、母が捨てなさいと言ったものだと安心して捨てられたりした。
捨てる事に罪悪感を感じるなら、リサイクルしよう!と考えて、売れるものは売ったり、お金にならなくても引き取ってもらった。
物がなくなったらすごくすっきりした。
一度処分したら割と捨てる事に抵抗がなくなり、残っていたものも処分した。
物を大事にすることは大切だけど、捨てられないとは違う。
過去に囚われて生きてる毒親が、物を捨てられないというのは、辻褄が合う。
新しい事を取り入れない、考えを変えられない。
それは時代遅れにもなるし、古いものがある事で悪い運気もそのままにしている事になる。
それでも母は物を捨てられない。捨てる時には誰かの許可を求める母。以前私が捨てるときに母に了承を得ていた頃と同じ。否、私が母と同じ価値観だったせいか。。。
急に「そういえばあんたにあげたわよね?」って言われると、不安でいっぱいになってしまう。罪悪感でいっぱいになってしまうから、母とはやっぱり距離を置いて正解なんだと思う。
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