この前 3年ぶりに帰省した
今回の帰省は割と平和だった。
3年という時間、電話やメールは必要最低限、私の脱毛症などで、関係性に変化があったのかもしれない。
といっても毒親は健在。
大学時代の話
親戚で、大人になった今でも大学時代の友人とは交流がある人がいた。
母は私に、「華穂は大学の友達とは交流あるの?」
私「ないよ」
次にいう母の言葉に私は驚いた。
「仕方ないよね。電車じゃそんなに深い付き合いもできなかったよね」
今までだったら、「あんたの友情なんかその程度」とかカチンとくるセリフを言っていたのに。
私が大学時代の友人と交流がないのは、浅い付き合いだったから。
学校では一緒でも、プライベートで遊ぶことは年に5回もなかった。
私を含め電車で通ってる子だったり、実家通いで門限があったりして事由がなかった。
一人暮らしの子は私たちより大事な人との付き合いがあって付き合いが悪かった。
そんな事情を理解したかのような母の言葉。
今更遅い。
だからと言って一人暮らしさせればよかったと思ってるわけじゃないんだけどね。
大学時代の友人と交流がないのは通いだったからという事実を理解しただけ。
毒親は毒親
衝突は少なかったものの、話しているとやっぱり毒親だなって思うことは多々あった。
・嫁の実家の近くに家を建てるのが普通
夫婦によって違うのにどうしてそう思うのかわからない!
・この3年間あんたが子供でも産んでいるとしたら普通は言うけどあんたは普通じゃないから言わないよね
否、さすがにばれる嘘は私はつかない。そんなことあったら言うってばって何度も言ったけど全く信じなかった。「普通は言うのよ、でもあんたは普通じゃないから」と繰り返された。ここでいう母の普通は間違ってないけど、私のことを普通じゃないって決めつけて折れないってなんなのさ!それにさ、私はもう44歳なので、簡単に妊娠のことは言ってほしくない。私は出産願望ないけど、もし子供ほしかったら傷つくじゃん。
そういう話は前もって言ってよねって言われたけどさ、前もるのが嫌なんだよ。母には確定した事実しか話したくない。ダメになったときに「やっぱりね」とか言われるのがすごく嫌なんだ。
だから今後私がもし結婚することになったらどうしたらいいのだろうと思う。
地雷
話してて、私は地雷を踏んだ。
毒のスイッチを自ら押した。
「金がない」と言ってしまったこと。
年金の免除申請をしたこと。
どちらも金がらみ。
お金をあげているのにないと言われることが腹立たしいらしく、もらったお金は使っていないと言っても、そういうことじゃなくて、お金がないならあげたお金を使ってお金がない状態を作るなということのようだ。
金がないという言葉を聞きたくないのだろう。それは少々理解できるが、そんなに怒らなくてもいいじゃないかと思う。
そこから、今までかなりのお金をあげている。という地獄のような話になってしまう。
確かにかなりもらった。でもそれをすべて残しているかと言われたらそんなわけない。
あげたものの行方は追ってはいけない、と母は昔言っていたのに、同じことしてるじゃん。
続いて年金。免除したら将来貰えるお金が少なくなるから気にいらない。
しかし私は無職だったし、免除できるならするよ。
そこも気に入らない。無職だろうがあげたお金で払えということらしい。
もらったお金を年金の支払いにはしたくないと言っても通じない。
ただ払わないのではなくきちんと申請してるのになぜダメなのか。
母の言い分も間違ってはいないけど、将来にかけすぎというか、私は今を楽しめなくなる生活はしたくない。免除制度あるなら使うし、払える時に払えばいいと思うし、甘いと言われても、私は利用できるものは利用して今をしっかり生きたい。
お金の話は完全に地雷だと気づいた。お金のどんな話でもするのはやめようと思う。
罪悪感
毒親とわかっても、罪悪感は生まれる。
悪いこと何にもしていないのに、家を出ている自分、あまり連絡しない自分に罪悪感。
年のせいか、母は支配力はなくなり、泣き落としが多くなった。
だから余計に罪悪感に苦しめられる。
帰省から数週間たった今でももやっとする。
これはしばらく直らない。もしかしたら一生付きまとうかもしれない。
毒親の呪縛を完全になくすなんて無理なんだろうと思う。でもなくす努力は必要で、こういうもやっとしたときの対処法とか、考え方(価値観)は変えていけるから、呪縛をなくすことより、毒親育ちなりに幸せに生きていけるようになれたらなと思う。
コメント