母が毒親であり、私は毒親育ちと確信してから、『毒親による呪縛』に縛られている自分がよくわかるようになりました。以前は縛られている事すらわからなかったのだから、前に進めている証だと思っていますが、これがとても辛かったりします。辛い反面、自分らしさを取り戻している感じがして嬉しさもあります。自分ではなく母の意見を優先している自分、母の意見が正しいと思い込んでる自分、何もかもが母に支配されている事に気付きます。
母の言ってる事は違うとわかっている
昨年、祖父の施設入所が決まった時、母が泣きながら私に電話をしてきました。祖父は骨折して脳梗塞を発症し、動けない、いわゆる「寝たきり生活」になった時です。私は施設に入らなきゃいけなくなるのは当然だと思いました。幸いにも良い施設も見つかって、特に問題ないと思っていたのに、母は泣いています。私は、『なんで泣いてるの』って思いました。結局母は、世間知らずで、【施設入れる=親不孝、可哀相】と思っているのです。面倒見きれない、自宅介護なんてできないから施設に入る事は当然の事なのに、施設に入れるのは悪い事、介護を放棄した事と思っているのです。私は【施設に入れなきゃいけない】と言っていた母と、【泣いている母】の矛盾に混乱します。そして混乱した末に、なぜか私も涙が出て同じく泣きました。今思うと、【もらい泣き】と、【母の言っている事が正しい】と思い込ませている自分です。無理やり母の言ってる事をわかろうとして、合わせていました。今思い出しても、【どうして私はあの時泣いてしまったんだろう?】と悔しさと嫌な気持ちが混在します。毒親育ちが毒になっている感じがしました。
間違っていても親が正しいと思うようになる!危険!
母の言ってる事が全てで、周りが何を言おうと、母がいいならいい、ダメならダメって、直ぐに思っているわけではなくて、実は私自身の中で、『違う!』と訴えていて、それをもう一人の私が、母の意見が正しいんだと思い込ませるように変換していました。母の言っている事は違うんじゃないか?って私は気付いているのに、気付かせない、自分の意見を、自分自身で、母の言ってる事に合わせる作業を頭の中でしているんです。結局祖父の施設入所も、私自身は、【自宅介護は無理だから施設に入るのは普通、いいとこに決まって良かった】と思っているのに、母目線として【家族と離れる事で母は辛いんだ、そんな事も考えられない私は冷たい人】と思いこませて、私を泣かせています。この施設の話は、古い人は、施設に入れる事がダメ、と言う人もいるので、間違いとは言い切れないですが、これが明らかに正しくない話だったとしても、私は母の言う事を【正しいと思い込ませる】【変換】が頭の中でされてしまうのです。今でも母に言われると、「そうなのかなぁ」と考え直してしまう自分が怖くなります。
自分に自信が持てないから
結局、あんたはダメだ、できるわけがないって言われ続けてきて、自分に自信が持てないから、違うなと思っても、私が違うんだと思ってしまいます。最近は自分の言っている事が、わりと他人に影響する事、認めてくれてる人がいる事にたくさん気づいています。今までは私の事なんか誰も信じない!と思っていましたが、そんなことはありませんでした。なので、自分の直観を信じ、まずは言ってみるようにしています。たとえ毒親が理解をしてくれなくても、私が母の意見に左右されることなく、自分の意思を持ち、物事の判断ができるようになれたって、私もう41歳だけどね!
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