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毒親は自分の事しか考えてない、【あなたの為】ではありません

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帰省した時、母が買い物に付き合ってほしいとのことで一緒に行った。しかし、買わない母。理由は、私が一緒に見てくれないから。 意見してくれないから。 
普通の娘は選んでくれるのに、あんたはただ一緒に来るだけで、何も考えていない。思いやりのない冷たい子。と私を責める。欲しいものくらい自分で決めて欲しいし、どうせ私が意見したって、その通りの物買わないから、私はもう言いたくないのが本音。

自分はいいけど娘はだめ

私の買い物の時の母は、疲れた!足痛い!早く帰りたい!って言って常に座れる所を探してる。 私はもっと見たいけど、そんな辛そうにされたら帰らざるを得ない。仕方なく帰ろうとすると、自分のせいで私が帰ろうとしてる事が面白くないようで、あんたにはわからないでしょ、本当に痛いのよ!疲れるのよ!わからないだろうけどさ若いから。ととにかくキレまくる。歳の差はしょうがないでしょ親子なんだから!自分の買い物の時は、痛い、疲れる、等は言わないものの、私のせいで買えなかったって文句を言って帰るっていうパターンが日常。お母さんの欲しいものを一緒に見て、これがいいんじゃない?とか、これにしたら?とか言ってくれるのが娘ってものだと思ってるお母さん。みんなそうなのに!っていっつも誰かと比べた感じで言われるんだけど、そんな人周りにいない。母の理想論(つまり嘘)なんじゃないかと疑いたくなる。

そんな母も毒親育ち

そして母はかつて自分の母(私の祖母)に言われた話を語りだす。
私はお母さんに、あんたも年取ればいずれわかるって言われたの。本当にわかったの。
わかった時に親はいないのね・・・あんたも私がいるときにはわからないでしょう。きっと私が死んでから気付くわよ。そんなもんなのよ・・・と、この話を一時間以上堂々巡り状態で語り続ける。祖母は20年前に急死した。母は毒親と気づくどころか、母以上の人はいないと信じきっている。毒親の存在も、毒親育ちも気づかないのも、母にとってはいいのかもしれない。でもあまりにも過大評価過ぎて、時々哀れだと思ってしまう事がある。周りが祖母を少しでも悪く言うと、母は言った人の文句を言い始める。「お母さんはそんな人じゃなかった。違うのよ、あの人はわかっていない」毒親育ちは、気付かないと親が偉大なままなんだ、私は気付けて良かったなと思う。母は生きにくいと思った事がないらしい。そうだよね、自分は幸せじゃなくて当たり前って思っているのだから。やっぱり哀れだと思っちゃう。自分の為に生きるのではなく、人の為にしか生きれない、依存するものがなくなったらどうなってしまうのだろうかと、毒親とはいえ親だから心配になる。でも私は助ける事ができない。

私は自分の為に生きる

私は一人っ子で、親に何かあればきっと私にのしかかってくると思う。長女だから、娘だから当たり前、子が親の面倒を見るのは当たり前、いずれ帰ってくるんでしょ?私はそんな風に言われるのが嫌い。母のように、親だから仕方ないって思って、自分の生活を犠牲にして生きていくのは嫌だ。いつも不幸そうに、私は幸せになっちゃいけないの、って自分で幸薄にして、時々爆発する。私は大変なのよ!私は同じ道は進みたくない。

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