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毒親育ち仲間と繋がりたい②

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去年、自分の親は毒親だって確信して、こうしてブログを始めましたが、この一年、あっという間でだいぶ変われたなって思います。

自分も毒だった30代

なんとなく思い返してみると、30代の私、母に違和感を持ちながらも、母が絶対で、母を信じて、そして自分も母と同じ事をしていたような気がします。きっと共依存だったんだなと思います。

毒親育ちと気づいたきっかけは親の衝突と、仕事のストレス

どうして毒親と確信したのか、明確な理由はわからないんですけど、衝突が多くて生きにくくなった事、そして多分、仕事のストレスだと思います。

仕事と毒親、一見関係なさそうなんですけど、仕事のストレスは、私の「毒親育ち」を気付かせるきっかけになったように思います。

私は自信を持って唯一できると自信が持てるのは仕事でした。親が私を否定しかしなくても、仕事はやればやるほど評価を貰えました。できないと思っていた私に自信をつけてくれました。頑張れば頑張るほど評価され、役職を頂いたこともありました。

そんな自信を潰したのは前職です。(笑)どんなに私が頑張っても、会社は私を評価することなく、やって当たり前とされました。もう1人、一つの事しかできず、よく休み、怒られれば泣く人がいたのですが、会社はその人をかばい、私は厳しくされました。
お給料が同じなのに、できなくても許される人がいて、私は許されなくて、唯一自分を出せると思っていた会社が、とても居心地が悪くなりました。

実家でも母と衝突、会社も理不尽、結果的に体調を崩して会社を休みます。「適応障害」と診断されました。(今は元気です。)

仕事を減らすという約束で復帰しましたが、結果的に退職していますので、どうだったかはご想像にお任せします。

退職を決めた頃、多分去年のGWあたりで、ちょうど帰省していて、親と衝突して、そんなときにインスタに愚痴った事が、毒親育ちと気づいたきっかけだと思います。

お話会への参加

私の中で、最も大きい出来事は、お話会の参加です。

以前から、私と同じ境遇を持つ人と、会って話をしたいと思っていました。でも周りにはいなくて、こんな風に、親が変って思うのって、やっぱり私だけなのかなって、でも実際ネットでは調べられるし、毒親は存在することはわかっても、実際に毒親育ちの方とお会いした事はありませんでした。

そんな中、私は宮澤那名子さんの「毒親育ちのお話会」を見つけ、参加しました。

実際に毒親を持った毒親育ちの方と話して、共感し合えたことは、私だけじゃないんだっていう安心感、そして前向きに生きていく一歩が踏み出せました。

好きな事をする

私は仕事を辞める事は割と早く決意しましたが、辞めてからどうするか?は決めていませんでした。実際今の仕事も辞めてから決めましたし、とりあえず辞めました。

別にお金に余裕があるわけでもないし、生活的には結構大変です。でも仕事で体が壊れる方が嫌でした。適応障害は心の問題でもありますが、肌も荒れるし、どんどん老けていく自分がわかりました。特に女性として衰えていくのがすごく嫌でした。こんな事で私壊れたくない!って本気で思いました。

仕事は今まで評価されて来たのだから、私を認めてくれる会社は他に必ずある、って思いましたし、別に正社員じゃなきゃいけない事もないと思いました。ここに気付けたことも大きいです。母は大卒の公務員や一流企業だけを認める偏見の持ち主で、そうなれなかった私は自分を責めましたが、今はどうして自分を責めたのかわからない程、この偏見が嫌いです。

お金はないけど、自分のやりたいことをやっている今は幸せです。

でも親から連絡が来たりすると一気に凹んで、落ち込みます。その時はとことん落ち込もうと思います。落ちたら次は上がるだけですからね、なんとかなるって、1日最低でも1回は笑って過ごす毎日を送れたらいいなと思います。

 

 

 

 

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